フー太シータ、祝9歳。
保護猫シェルターを離れ、3月から2匹+人間だけで暮らすようになった飼い猫フー太とシータ。
左がシータ、右がフー太。
4月で9歳になりました!
シェルターで保護猫と暮らしていた時より、運動量が増えた気がします。
追いかけっこが楽しそう。
いつも2匹で運動会して、2匹で団子作って、2匹でお留守番。
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2匹を保護した時のお話。
まず、フー太が生後約6カ月の時。
ちょうどその頃、ニコニコ動画で「ふちゃぎん家」にハマっていた私。
2008年10月18日。
夜、家の前で車に轢かれた所を保護したのが野良子猫だったフー太でした。
血だらけの知らない猫を捕まえ、タクシーで夜間病院に連れていき入院、1週間後に19万円請求。。。
私は昔からひどい猫アレルギーだったので、猫はフー太が初めてでした。
「ふちゃぎん家」のふちゃぎにちなんで「フー太」と命名。
フー太に対して猫アレルギーが反応しない奇跡が起こる。
退院した後のフー太は、カビ?で脱毛して「免疫力が弱いですね」と言われたり、引っ掻いてしまって肉が見えてしまったり、なんだか弱々しくて。
エリザベスカラーが欠かせませんでした。
でも夜になると「遊べ遊べ」が激しくて私はノイローゼ気味に。
まだお外で野良生活をしていた子。
フー太の兄弟だろう、といつも気になっており。
線路も近いし車も通るし、だんだん寒くなってきて、他に一緒にいた子が変な咳をしたり痩せていて。
「世の中には何てこんなに多くの不幸な猫がいるんだ!」と初めて気がつきました。
2008年12月24日シータ保護。
寒い寒い日におうちに入れる事ができました。
しかし、シータはなかなかおうちに馴染む事ができず、人の気配があるとご飯を食べずだったので、別部屋でケージ暮らしから徐々に慣らしていきました。
毎日毎日ドスのきいた声で夜鳴きをし、トイレを覚えずうんち踏みまくり、人の気配に敏感で、部屋でフリーにした後も窓に張り付いて外を見ながら吠える。。
「保護したのは私のわがままだったのか。」と本気で悩みました。
ようやく家の生活に慣れて、フー太と散々遊んだ後に上の写真の姿を見た時は、本当に泣きました。
シータが来て、一緒に遊ぶ事ができるようになったフー太は毎日ご機嫌で。
弱々しかったのが嘘のように元気になりました。
そして、人馴れしていないシータは、フー太を見て段々私に懐いていきました。
柄が一緒。
フー太シータが初猫だというのに、そこから間髪いれず、次々に猫を保護。
子猫、中猫、成猫、病気猫、猫に攻撃的な子、生粋の野良だった子、色んな子がきました。
皆フー太シータが大好き。
団子。
保護当時は手を焼いたシータですが、何度も私を助けてくれました。
(手を焼いた事も、私の保護活動において良い勉強でした。)
一度、台風の前日、7匹くらい脱走させてしまった地獄のような事があり。
シータが、家の周りにいた他の子の居場所を鳴いて教えてくれたり、連れて帰ってきてくれ、全員保護。
夢のような現実でした。
フー太は交通事故を経験している為か、お外や車・バイクの音や人の足音トラウマがあり、一度外に出てしまったものの、家の周りの隅で固まっていました。
呼ぶと弱々しくなくものの動けず、私がおそるおそる近づき、捕まえぎゅっと抱っこ、フー太も私にしがみついたままでいてくれ、家に入る事ができました。
色んな出自の保護猫たちと。
左の白黒:センターから。トリモチでべたべたで収容。
黒多めサビ:近所の繁殖現場から。猫エイズキャリア。
右の白:杉並区のお寺で白猫ファミリー3匹保護のうちの父さん猫。猫エイズキャリア。
老猫介護に付き合うフー太。
三毛:センターで見るからに死にそうだった子。最初から介護。
痴呆が酷く、際限なく叫び続ける。そして大食い。
(幸い一戸建て住まいで隣が空き地と空き家だった為苦情なし。)
皆と一緒の環境で、温風にあたるとすやすやおとなしくなる、と発見。
穏やかに亡くなりました。
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こんな感じで9歳に。
保護猫たちとの生活をすごく楽しんでいて、新入りが来るとワクワクしてたくらいでしたが、
ここ1年くらいで変化を感じ。
最初の時のように2匹だけの生活を始めましたが、今のところ正解かな、と。
2匹の幸せを考えながら、1年でも長く一緒にいられるようにと思っています。